KO-SHI KAI

講志会

ノンフィクション作家・ライフ映像ワーク代表

髙 賛侑KOH CHANYU

他民族・他文化共生社会を一緒に作って行きたい

民族とか戸籍とかに関係なく、すべての人間は人間として生きる権利がある。

民族的コンプレックスを持つひとたちのためになにかやりたい

僕は元々大阪で生まれ育った在日二世となりますけど、高校まで、日本の学校に通ってまして、それで、昔のことですから、非常に当然人種差別が激しい時代で、自分が朝鮮人であることに対して、その民族的プライドを持つことができないという生活をやってきましたけれども、高校三年の時にちょっとしたきっかけがあって、朝鮮大学校というのが東京にあるということがわかって、日本の大学じゃなしに、そっちに進学して、そっから新しく朝鮮人としての生活が、新しい人生が始まった感じですよね。
そうすると、それまでは、自分も含めて民族的コンプレックスで非常に悩む時代が長かったんですが、周りに同じような体験をした人がいっぱいいますので、そういった人たちのために何かしたいな、というのが根底にありますね。
いろいろと映画のシナリオを勉強したり、演劇脚本書いて演出やったりとかね。
ジャーナリスト的なことをやったりとかいろいろありますけど、やっぱり根底は同じですね。
在日韓国朝鮮人の今の非常に不平等な状態まだまだ昔から比べてマシになったとは言えね、まだまだ差別とかありますのでね。そういうのを少しでもなくすために、なんらかの形で、できたらと思いつつやってるんです。

在日コリアン問題を映像で伝えています

在日朝鮮人というのは非常に差別偏見の中で、生きてきたので、それは現在も続いてます。
ここ数年前からヘイトスピーチという形でもっとね、露骨的なことも現れてきたり、そういうことをなんとか少しでも改善したいな、という思いがあります。
最初は在日をテーマに自分も同じ立場だから考えてきたんですけど、そうすると他の外国に住むコリアンたちはどんな状況なのか、ということに興味を持ちだしてそれで、中国とかアメリカとか、旧ソ連ですね、今のロシアとかに、たくさんのコリアンたちが住んでいますので、そういったところもずっと調べてみたんですね。取材やってみたんです。
そうすると、在日との共通項がいっぱいあるし、異なる面もいろいろあるんですが、共通項が非常に多いです。
どこの国でもなんらかの形で差別があったり、それから偏見があったりとかね。その中で、たくましく生きてるそういう面もありますが、それがあまりにも知られていない。

日本社会では、在日コリアン問題っていうのはあくまで周辺の問題であって、主流の問題ではない。
なかなかそこに生きている人間たちがいろいろ悩んだり苦しんだりすることがまだまだたくさんあるんですけど、それが日本人社会ではなかなか知られない。
これをやっぱり伝えていきたい、という思いはありますね。で、その伝える手段としましては、いろんな方法があると思うんですけど、僕は取材して事実を原稿にしたり、本にしたりとか、かつてはそれを演劇にやって、舞台でアピールしたりとかね。
そんなこともやってきて、今は映像で伝えるということを力入れてると、いう感じです

日本はヘイトスピーチの根本的解決にはほど遠い

僕にとっては、在外コリアンを取材したっていうのは、ものすごく在日を見る上で参考になることが多いですよ。 特に在米コリアンの歴史。
在米コリアンは、黒人問題と非常に関連がありますので、例えばアメリカの場合は、ご存じの通り、数百年に渡る奴隷制度があって、1960年代に入って、黒人たちの公民権運動というものが盛んになってきます。1950年くらいから始まって、公民権運動が始まって、64年に公民権法というのができて、黒人差別は、法的な差別は一応なくなった、ということになります。で、そのころにすでにヘイトスピーチとかヘイトクライムとか、いう問題がすごい話題になって、それを禁止する措置がいろいろ取られてきているワケです。

それに比べて日本は、半世紀以上遅れているということです。
これは、アメリカだけじゃなくて、フランスなり、ドイツなり、ヨーロッパ各国とかね。いわゆる先進国というところは、もう何十年も前からヘイトスピーチ、ヘイトクライム禁止するいろんな法律を作ったり措置があるワケですが、それが日本の場合は、これだけ大きな問題になって、去年ようやくヘイトスピーチ対策法ができた。
しかもこの法律というのは、理念だけであって、犯しても、背任罪にはならない、逮捕にもならない。どこまで効力が発揮できるかっていうのがね、まだまだ疑問ですよね。
せいぜいその後成果として出てくるのは、いわゆる排外主義者たちが集会を持とうとする、それに対して一応集会を認めない、という措置が神奈川とかで、ようやく出てきたそのくらいですね。
それでも、非常にささやかな一歩前進ではあるけども、根本的な解決には程遠いと、いう風な感じはしています。

他民族、他文化共生社会を一緒に作っていくというところに尽きる

大切にしているのは、民族的なアイディンティティを大事にする、といったことです。
民族とか戸籍とかに関係なく、人間は人間として生きる、すべての人間は人間として生きる権利がある。
で、それをお互いに認めなければならない。これは日本人とか朝鮮人とか、それから外国人とか関係なしにですね。
だからいわゆる、他民族、他文化共生社会を一緒に作っていくというところに尽きるんじゃないかと、それが一番大きな目標かな、という感じがしてます。

東京新聞(こちら特報部)記事より抜粋

ノンフィクション作家・ライフ映像ワーク代表 髙 賛侑こう ちゃにゅう

民族とか戸籍とかに関係なく、すべての人間は人間として生きる権利がある

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